トピックス

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バッチ勉強会便り(第19号)

2017年9月19日(火)の勉強会は、今年の読書会の最終回、「なんじ自身を癒せ」第7章と第8章でした。

今回は、難解な気分、重い気分になりました。
というのは、それだけ自分が取り組まなければならないことがたくさん説かれていたからだと思います。

一年前の読書会で、同じようにこの第7章と第8章を読んだ時は、勉強会便り(第6号)にも書いたように、明るく励まされるような気分になったものですが、今回はなんと全く逆の気分、、、

もともとバッチ博士の文章はスラスラとは読みにくいですが、そういう文章表現的な意味ではなく、「良薬は口に苦し」に似た感じの、読みにくさ、とでも言えばいいでしょうか。

でも、そう、まさしく良薬なのです。

しっかり服用したいものです、、、

もし、薬に例えるなら、この第7章、第8章は、処方箋みたいなものかな。
ここに説かれていることの実践が薬。
継続して飲み続け(=実践して)、やがて薬が要らなくなる(=実践を止めるというのではなく、実践という意識が不要になる。そのものになる。)といいのだろうなぁ。。。

この読書会に限らないことだと思いますが、「読む」という行為も鏡になるのだと思いました。

同じ文章を読み返しても、その時の自分の状態によって、感じることが異なる。

逆に、その感じることの違いで、自分の心の状態が見え、はっきりと意識する。


レメディ選びやコンサルテーションとも通じるものがありますね。。。


そして、その結果、飲みたいレメディ、飲むべきレメディが、浮かんできました。。。


さて、今回は、ちょっと脱線のように思われるかもしれませんが、当日の、ある風景写真をご紹介したいと思います。

勉強会の会場である「しいのき迎賓館」を出る時に感じたことをお伝えしたいと思ったからなので、これも勉強会便りの一部になり得るかな?と、思い、、、

毎月、ほぼいつも、同じ時間に、同じ場所、この「しいのき迎賓館」の正面玄関に立つのに、今まで気が付かなかった「風景の見方」というものがあることに、とても感動して画像に収めました。

しいのき迎賓館の正面玄関前は、アーチ状の重厚な柱に囲まれた車寄せになっています。

その玄関側から柱越しに、普通に風景があり、よくここには立っていたのに、こんな風に意識したことが無かった!


アーチ状の柱が額縁で、その向こうに広がる風景が絵画のようにみえる。。。

shiinoki112.jpg

そして、その景色に、ひとことでは言い表せない美しさと、何か訴えてくるものを感じ、自然に足が止まりました。

この日は快晴で、さわやかな風が吹き、空の青さにも夏の青とは違う透明感と光を感じ、木々の緑の中にはすでにほんのり色づき始めたところもまじり、確かな秋を感じつつ、しかしまだまだ白くまぶしいほどに照り返す地面、そこには影とのコントラスト、、、

shiinok333.jpg

季節によって太陽の高度が変わることで、同じ時間でも光の反射や光の入射角度が変わり、影の入り方や長さ(面積)も変わってくる。

shiinoki222.jpg

アーチ状の柱が作るその影と光を反射する地面とのコントラストと調和、風景を遮るアーチ状の建造物と自然の風景との調和、偶然に空間の中に出現した生きた芸術の美しさに感動して、しばらくの間、眺めていました。

そこに在るものは変わらなくても、明るさの違い、光の強さや角度によって変わる見え方と影の落とし方の違い、など視覚的感動と共に考えていたら、これもまた、ある意味宇宙がくれたメタファーのように思えてきました。

ひとりの同じ人間でも、心の状態が異なれば、同じもの(同じ言葉、同じ状況、etc.etc....)に対して、感じる事、見出すこと、見えない事、全て変わってくる。

何に対して何を感じているのだろうか?

何が感じられなくなって、何が見えなくなっているのだろうか?

逆に、そう感じている自分、あるいは、感じなくなっている自分、に気付く。


同じ第7章と第8章であっても、去年と今年の感じるものの大きな違い、そこには、心の状態に大きな違いがあるから、、、

それは何なのか?

それが大切なんだ、、、


と、バッチにつながっていきました。


ということで、今回は勉強会便りの一部にさせていただきました。

ちょうど、10月、11月の勉強会は、今回の勉強会便りの延長線上にもなりそうなテーマです。

皆様といろんなお話が共有できること、楽しみにしております!


バッチ勉強会便り(第18号)

2017年8月14日(月)の勉強会は、レメディ考察の回で、「失意と絶望」のカテゴリーに分類される8種類のレメディと、レスキューレメディについてでした。

今回、一番感じたことは、たびたび共感と共に話題になることではありますが、「やっぱり、バッチ博士の言葉での表現の中にカギがある!」ということです。


ひとりひとり、各レメディからの経験や洞察、気づきを重ねていくことで、各個人の中で、各レメディへの理解が深まり、生きた知識となり、それはまさに生き物のように成長していきます。

ひとりひとりが、それぞれに持つレメディ像は、元々のレメディの質と異なることはなくても、ひとりひとり顔や背格好が違うように、あるいは癖や特徴があるように、少しずつ違いがあるものだということを、あらためて思いました。

バッチ博士の言葉による説明を読み直すというのは、自分の中でレメディの特徴を意識し過ぎていた部分があったり、またその裏では拾いきっていなかった苦しみの質などに、気付ける良い機会だなぁと、しみじみ思いました。


今回、最も印書的だったのは、クラブアップルの説明の中で「本人の心の中に最も大きく占めている事や、絶対に治さなければならないように見える事から解き放たれたいと切望しています」と書かれている部分でした。

この「本人の心の中に最も大きく占めているもの」や「絶対に治さなければならないように見える事」が実はとても些細な事だったりする、という特徴の方が目立ち、本人の苦しみである「この事から解き放たれたいと切望している」ことに、理解や思いやり、共感を持って、このレメディと向き合っていただろうか?

もしかしたら、クラブアップルの苦しみの質に、初めて気が付けたのかもしれない。。。


他には、


オークの中の「希望を捨てたり、努力を惜しんだりせずに、困難に立ち向かう」という部分に、この特徴にだけ固執しない方がいいけれど、やっぱり本質の部分にあるんだよね、と再認識したり、、、

ラーチの「一生懸命何かをやってみようとしない」という部分は、結果的にそういう行動になってしまうことがある、と捉えるべきものであるけれど、その状態を起こしているラーチの心理状態へと思いを巡らせた時、ラーチの苦しみの質に触れたように感じたり、、、

あるいは、

スターオブベツレヘムの「一時的に大変な不幸を生み出すような状況の下でとても苦しんでいる人のためのものです」という表現が、いかにシンプルで短く的確で過不足なく言いまとめられた一文であるかと感嘆したり、、、

スイートチェストナットの「心と体が忍耐の究極の限界を超えると感じて」という表現に、改めて苦しみの大きさとその質に圧倒される感覚を受けたり、、、


などなど。。。


今回は、とても、シンプルに、基本の骨格に目を向けるような、そしてその結果、苦しみの質に思いが至る、そんなひとときでした。


バッチ勉強会便り(第17号)

2017年7月18日(火)の勉強会は、読書会「なんじ自身を癒せ」第6章でした。

読書会は、安心と共感のもとで、思うことを言葉にできる場であり、ぜひ、この「勉強会便り」でも書こう!と思うことは多くありました。

しかし、今回は、医療や一部宗教観にも触れる内容もあり、とてもデリケートな話題もあります。

勉強会の場と異なり、バッチ博士の哲学を理解考察する、という姿勢が共有できていない方もご覧になれるこのページで、単純に活字にしてしまうと、受け止め方によっては医療批判、宗教批判という誤解または不快感を与えかねないこともあり得ると配慮し、今回は、話題に上がった内容を活字にするのではなく、その視点を書きだしてみるにとどめ、バッチ博士の哲学を理解考察しようと思う方だけが自主的に取り組んでいただく形式にしてみます。


≪現代医療の間違い≫とは? どのようなことを言っているのでしょうか?

・病気の捉え方としては?
・病気へのアプローチ法は?
・バッチ博士が「書くのもはばかれるますが、」と表現した、「神と、人と、動物に対する罪」とは?


≪真にあるべき医療の姿≫はどのようなものでしょうか?

≪物質主義の間違い≫とは、どのようなことをいい、その結果は?

≪宗教の教えの解釈の間違い≫を、ごく自然に正しているところがありますね?
→「諸宗教の教えは、正しく読めば、、、、」  それは?


第6章の中で、好きなところ、救われる思いがするところ、ありましたか?


今回私は、次の箇所に救われる思いがしました。

 ・・・人生は、私たちが心に喜びを抱いてこの世を旅し、周囲の人々に対して恩恵となるよう促しているのです。その結果、私たちがこの地上を訪れたことで、もしもほんの少しでも世界が良くなれば、私たちは自分の仕事を成し終えたのです。・・・

この文章の中でも特に、「もしもほんの少しでも」というところが、「ほんの少しでもいいんだ」と言ってくれているようで、「世界が良くなれば」というのも、「世界を変えるほどの大事」でなくても、例えば笑顔が笑顔を呼ぶくらいのことでも、「ほんの少しでも世界が良くなる」ことに関われるんだ、という気になれて、自分も「ほんの少し」なら寄与できるかも!と励まし勇気づけられる思いがしました。


「もしもほんの少しでも」

何か壁に行き当たったような、あるいは、何も見いだせないような思いにかられたとき、自己肯定間が得られない時、

「もしもほんの少しでも」と、心の中でつぶやいてみてください。

心が軽くなります。

そこには、「ほんの少し」以上に、周りへの恩恵となっている自分がいるから!



バッチフラワーレメディ入門講座

バッチフラワーレメディに関心をお持ちの方は、経験の有無に関わらず、どなたでもご参加いただけます。

【内容】

・バッチフラワーレメディの概要
・バッチ博士について
・レスキューレメディとレスキュークリームの説明
・38種のレメディの一部説明
(全レメディの説明には時間的に限界がありますので、参加者の方々からのご要望に合わせてご説明します。)


【日程】 

 2017年8月14日(月)

 受付 13:30

 講座 14:00~16:00


【会場】

 石川県政記念しいのき迎賓館3階 セミナールームA


【参加費】

 3,240円(テキスト代、消費税込み)


【お申込みはメールにて】
 
 締切:8月10日(木)まで

 件名を「バッチフラワーレメディ入門講座」としてください。

 本文中には、お名前と当日の連絡先を必ずご記入ください。

 メール送付先は➡コチラ


※メール送信後2日以内に、こちらからの確認メールが届かない場合は、何らかのメールトラブルの可能性がありますので、お手数ですが、デューク自然療法クリニック(076-245-8668)まで、お電話ください。
応答メッセージが流れた後に、留守番電話としてメッセージをお残しできるようになっておりますので、「バッチ入門講座申込みの件」であることと、「お名前」をお残しください。
メッセージを確認次第、こちらからお電話いたします。


    


バッチ勉強会便り(第16号)

2017年6月20日(火)の勉強会は、レメディ考察の回で、今回のカテゴリーは「現実の状況へ無関心な人に」と「淋しさ」でした。

今回は、カテゴリーの意味、そのカテゴリーに分類されている意味などに、より焦点を合わせた考察を共有でき、レメディの質に触れられた思いがします。

「現実の状況へ無関心な人に」へ分類されている7つのレメディ、クレマチス、ハニーサックル、ワイルドローズ、オリーブ、ホワイトチェストナット、マスタード、チェストナットバッド、これらが、どんな形で「現実に無関心」なのでしょうか?

クレマチスが空想にふけったり夢見がちであったりする、その裏には、バッチ博士の言葉で言うと「自分が現在置かれている状況を心から幸せだとは思えず」ということがあるからこそ、と気付くと思わず、ハッとしました。心が現実に焦点を合わせられずにいるため、現実の中に輝きを見出せなくで、楽しい空想に意識が飛んで行ってしまうんだなぁ...

ハニーサックル。 意識の焦点が過去に向かっていて、やはり、現実の輝きが見えない。

ワイルドローズ。 現実を意欲的に能動的に生きようとする姿勢に欠け、改善のためや楽しみを見つけようとする努力もしない、、、諦めの気持ちから、現実への関心をあえて放棄してしまった状態...

オリーブ。 確かに、疲れすぎて、心が疲弊してしまうと、現実の輝きが見えなくなる...

ホワイトチェストナット。 頭の中を不快な想念に占拠されて、現実に焦点を合わせられない。

マスタード。 これって、意外に気付きにくいのかもしれません。
実際には感情に打撃を受けるような事があったわけではないのに、気持ちがどんよりしてしまっている、なんで自分がこんなに憂鬱なんだろう、という場合でも、人というのは「理由があるはずだ。」と思いこんで、マスタードへ思いが行かないこともあるんだなぁということが話題になりました。
理由があるとか理由がないとかにあまりしばられず、心がどんよりしてしまってどうにも拭えない、と感じるときに試してみるのも良いですよ。
マスタードは、視界から消えていた(意識に入って来なくなっていた)現実の輝きに再び気が付かせてくれます。

チェストナットバット。 現実への焦点が合ってない眼鏡をかけているような感じと言えばいいかもしれません。焦点が合ってない眼鏡では、ちゃんと見えません。ちゃんと見えていないものを意識にとどめておくのは困難です。意識に残せなかったことを活用することは出来ません。
チェストナットバットは、現実に起きていることの全体像をきちんと見ることができていないから、経験を生かしたり、教訓を得ることが困難になっている、のでしょう。


色々な考察や検証を試みているときに、たまたま、「現実の喜びに導いてくれる」という表現を使ったところ、参加者の方の心に響き、その結果私自身にも響き返り、こうして今振り返ると、この表現はまさしく、このカテゴリーのレメディ全部が共通に持つ力を示していると言って良いと思います。


「淋しさ」に分類される3つのレメディ、インパチェンス、ヘザー、一体どういうところで「淋しさ」なのだろうか?という考察も、とても楽しかったです。

この3つの状態、質、陥りやすいこと、などを挙げているうちに、この3つに共通するのは「コミュニケーションの障害」だということに気が付きました。

実際に、人格レベルで「さみしい」と思うかどうかではなく、「コミュニケーション面で、ユニティ感覚(一体性の感覚)から離れた、孤立した状態になり得る」という視点を得て、何か充足感のような感覚を共有できました。

今回も楽しく有意義な時間を共有できました!

また、次回を楽しみに!



動物のためのバッチフラワーレメディ講座

下記の日程で、≪動物のためのバッチフラワーレメディ講座≫を開催します。


本講座は、「こんな時には、このレメディを!」という内容ではありません。


動物達にバッチフラワーレメディを選び与えようとする際に、大切に取り組んでいただきたい重要なことを、以下の内容を通してお伝えしたいと思っています。


・バッチフラワーレメディを動物達に選ぶ時に必要な「姿勢」「知識」「視点」について。

・バッチセンターの動物向けガイドラインの説明

・具体的な与え方。

・実例によるバッチ選びの例と、バッチの真価

・各レメディの指標(あくまでも目安、ヒント)


バッチフラワーレメディの癒しに、ひとつでも多くの生命が出逢えることを祈っています。


  
【日程】
 2017年7月17日(月・祝)  
 10:00~18:00


【会場】
 しいのき迎賓館3階セミナールームA
 (石川県政記念しいのき迎賓館➡公式マップ


【参加費】 
 5,400円(消費税込み) 
 ※お申込み受付後、お振込み先のご案内をいたします。
 ハンドアウトの準備上、お振込みの確認をもってお申込み完了とさせていただきます。


【講師】 
 三笠 由紀子 
 (獣医師、バッチ財団登録プラクティショナー、バッチ財団登録アニマルプラクティショナー)
          

【お申込み期限】  
 7月7日(金)まで 
 (ただし定員になり次第締め切りますこと、ご了承ください。)
              

【参加資格】   
 限定はいたしませんが、BIEPレベル1以上の知識を前提でお話いたしますので、不安に思われる方は、お問い合わせください。
 バッチを知らない方にも、「バッチフラワーレメディとはどのように選ぶものなのか」という姿勢をご理解いただける機会になれば嬉しい限りですが、バッチそのものの入門講座ではありませんので、入門編レベルに相当するご質問に対しては、講座中の時間を割くことはできませんこと、あらかじめご了承ください。


【お申込み方法】  
 以下の形式をもって、メールにてお申込みください。

①件名を、必ず 「動物のためのバッチフラワーレメディ講座申込み」としてください。

②本文中に、以下の点ご記入ください。
 ・お名前
 ・当日の連絡先
 ・バッチ経験歴(BIEP受講レベル、または、使用歴、または、初心者、など)
 ・お申込みされる動機、目的。
  
③送付先 : info@kamui2007.jp

 ※ご注意ください※お申込みメール送信後、2日以内に当方からの返信がない場合、送信上の間違いがないかどうか、あるいは当方からの返信が迷惑メールフォルダに振り分けられていないか、をご確認の上、もし間違いがなければ、何らかのメールトラブルの可能性もございますので、お手数ですが、お電話にて、デューク自然療法クリニック(TEL:076-245-8668)まで、ご連絡をお願いいたします。(留守番電話になっておりますので、「動物のためのバッチフラワーレメディ講座申込み確認メール」の件であることと、お名前をお残しください。メッセージ確認後、ことらからお電話いたします。)

 


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バッチ勉強会便り(第15号)

2017年5月16日(火)の勉強会は、読書会「なんじ自身を癒せ」第5章でした。

2章ずつ読み進めていくと、第5章と第6章を同じ回で扱うことになるのですが、このふたつの章は、根本は同じとはいえ、それぞれに異なっていてそれぞれに深いテーマです。

昨年この二つを同じ回に扱った時に、第5章と第6章とでは思考の焦点を全く別のものに設定し直して取り組むような感覚を受けたので、今年は一つに絞れるよう、この二つは分けてひとつひとつ扱うべく、今回は第5章のみ、の回としてみました。

そして、結果的に、ひとつの焦点を軸に思考することができて良かったと思えました。


さて、そんな第5章、その存在の意味は何でしょうか?


第1章から以降、「病気の本質は、魂と個性の葛藤である」という真理と、そこから発生することの説明と洞察が展開されてきました。

では、なぜ、どのように、いつから、「魂と個性の葛藤」は生ずるようになるのでしょうか?

「魂と個性の葛藤」、その中の「真の個性の欠如(人格への干渉を許し、その干渉によって「ハイアーセルフ」の命令に従うのが妨げられる状態)」という面に焦点をあて、それはしばしば幼少期から始まる、ということから、この時期に大きく関わる要素である「親と子」「教師と生徒」の正しくあるべき関係性について、第5章は展開していきます。

各人格は各々自分の魂の声にのみ従うべきで、決して他人の人格に干渉してはならず、また各自の姿勢としても他人からの干渉を許してならないという、人と人のあるべき姿という視点では、大人と大人でも、親と子でも、教師と生徒でも、全く同じことが言えます。

しかし、まだまだ人格が未熟で幼い段階の子供に対しては、簡単に操作あるいは強制同様の干渉を起こしかねないことに十分注意と自戒をもってあたらねばならない、ということの大切さが説明されています。

愛に満ちた保護と導きを与えつつも、決して過干渉にならないように、また自分の願望を押し付けるようなことがないように、ということを、子供の個性が「ハイアーセルフ」の命令にのみ従って成長するべきところを邪魔することのないように、という視点で説明されていて、とても納得できます。

本当に、全ての親、親になろうとする人、教師の立場にある人、全ての子供たち、の心に届けたいものです。

また、第5章からは、独立心(依存しないという意味)と自己決定力を発達させて、自覚と自己責任と、ユニティ感覚を有してこその、真の自由、というものも伝わってきます。

そういう意味では、親や教師、または子や生徒という立場に限らず、他の章と同様に、すべての人にとって、自分のために、真の自由を得るための励ましにも導きにもなる章だと思いました。


この章の終盤は、他の人格による支配から自分を解放するための術と姿勢とも言える内容になっています。
他の章でもよく話題になることですが、「分かるけど、、、異論はないけど、、、実行できない~~~、、、」「無理!ムリ!」という率直な感想を笑いと共に共有し、また、考え込みもしました。


≪・・・敵になりそうな人を、スポーツの対戦相手と同じように見る・・・≫という表現が、長く私にはしっくりこなかったのですが(異議を唱えるつもりは毛頭ありませんが)、勉強会後に、思い返していたら、その理由はスポーツで煽られ鍛えさせられる競争心や闘争心や打倒欲というものに対する嫌悪感があったためだという自分に気づきました。

と同時に、相手と戦っているようでも実は自分との闘いが基礎にあり、その成果を競技の場で対戦相手を通して実感する、というのがスポーツの本来の姿、と純粋な視点になって、もう一度この部分を読み返すと、この文章の続きである≪「人生」というゲームの競技仲間として、いやな感じを少しも持たず、もしそういう反対者がいなければ、自分自身の勇気と個性を発達させる機会が失われてしまう、と考えるのです。≫という表現も、素直に受け止められました。

その結果、≪人生のほんとうの勝利は愛と優しさを通して訪れる・・・≫という言葉がとても輝いて見えました。

この言葉を、常に心においておきたいものだと思いました。


何回読んでも、毎回違った発見や気づきがあります。

文章や表現に対して感じたこと、のように思っていても、実はその背景に、自分の中の偏見や思い込み、といった自分の問題が隠れていたりするんですね。。。


では、今回はここで終了します。


バッチ勉強会便り(第14号)

2017年4月18日のバッチ勉強会は、カテゴリー「内心が不確かな人に」と「人や周囲に敏感すぎて影響されやすい」に分類される10種のレメディについて、でした。

「内心が不確かな人に」の中の、セラトー、スクレランサスは、「あ~いるいる!」だったり「自分もなるなる!」だったり、なんだか身近に見受けられる光景が出てきました(笑)


ところで、唐突,、かつ勉強会中に話題になったわけでもないことですが、この、「内心が不確か」とは、どのように説明すると良いと思われますか?


というのは、この日のもう一つのカテゴリー「人や周囲に敏感すぎて影響されやすい」の方では、このカテゴリーの命名(または視点のまとめ方とでも言うべきか?)から、レメディへの理解のカギを渡されたような感じを受けたことを、今書きながら思い出したためです。


セントーリーもホリーも、アグリモニーもウォルナットも、「人や周囲に敏感すぎて」の結果、「影響され」ているという点は同じで、どのようなことに敏感に反応しているのか、どのような反応の仕方をしているのか、という点が異なるだけ、という視点で眺めてみると、急に俯瞰的な視界に変化して、個々に見ていた時のレメディ像とはまた違った像が見えてくる感じがしました。

言い換えると、横に並べてみていた時はそれぞれに異なった強い個性が目に入りやすかったところが、上から眺めてみると、明らかに同じ面から発生していることが視覚化されるような感じで、各個性よりも、その敏感さだけがひしひしと伝わってくるような、、、と言えばいいかな。。。


と思い返していたら、「内心の不確かさ」をどのように説明すれば、その質をより感じやすいだろうか?と、ふと、思ったので。。。

もちろん、バッチ博士の表現が最もシンプルに言い当てたものだとは思っていますが、それを理解するための説明として、です。
スクレランサスやセラトー、ワイルドオート、は「内心の不確かさ」と感じやすいと思いますが、ゲンチアナ、ゴース、ホーンビーム、をも合わせて、同じ「内心の不確かさ」の質をひしひしと感じられるように説明するとしたら???

と考えていて、まだ、うまくまとまっていませんが、私の中に浮かんできたのは、「自分の中の『神性』に対する確信の不確かさ」あるいは「魂とのつながりの不確かさ」というような表現による説明です。

いかがでしょうか?

こういった視点でも、話し合ってみたいと思います。

今回はここで終了します。



バッチ勉強会便り(第13号)

2017年3月28日(火)の勉強会は、「なんじ自身を癒せ」第3章と第4章の読書会でした。

第3章の読書会を始める前には、恒例ではありますが、3章に書かれている内容から誤解を招かないよう、前置きをします。

第3章では、特定の精神状態が特定の身体症状へ導く、あるいは、身体症状から特定の精神状態が推測できるように解釈しかねない部分がありますが、しかし、バッチ博士は最終的には、身体症状にとらわれずに、「病気に注意を払うよりも、患者さんの人生観や何に苦しんでいるのかだけを考えてください」としていることを忘れずに、十分に認識した上で、読み進めていきましょう、という前置きです。

バッチ博士の事に限りませんが、文章というのは、その一部分だけが切り取られ、文脈や前提や最終的考察などを伴わずに流布されることで、誤った解釈が一人歩きしてしまうことがあります。

特に、バッチ博士がシステムを完成させる前に出版された書物の扱われ方の中には、バッチ博士の遺志を踏みにじる結果に至っている事実もあり、実に悲しく思います。
(あ、少々脱線してしまいました!)


さて、では、第3章。

ここでは、ユニティに反するどのような行動(=欠点)があって、どのようなことに気付き、どのように成長することが望まれているか、ということが述べられています。

そして、このユニティに反する行動や考えを続けていると、言い換えると「ハイアーセルフ」の声に反し続けていると、「魂」と「心」の葛藤が作り出され、その結果が物理的身体に病気として現れます。

病気は、身体に顕現するにまで至った「魂と心の不調和」と言えることになり、その事実を重く謙虚に受け止めるべきなのでしょう。
このことを、第3章の初めの一文「病気と知られているものは、もっと深いところにある不調和の末期症状です。」の中の「末期症状」という表現から、強く衝撃的に感じ取られたという発言があり、なんとなく読み過ごしてしまっていた単語からの強いメッセージを汲み取るような経験を共有させていただきました。

他にも、バッチ博士が使っている意味での「自己愛」と自分がイメージする「自己愛」の差、「内省」をどのようにとらえれば良いか、ユニティの理解について、などに話題が展開していく中で、疑問と確認の作業を共有する場であると、しみじみ思いました。


第4章では、3章で述べた欠点をどのように理解してどのようにすれば克服していけるか、という内容が書かれています。

この部分では、救われる思い、励まされる感じを得られるところもありつつ、実践の困難さも感じることが多いところでもありました。

第3章、第4章の理解のために、あるいはそこから出てきた疑問の答えのために、第2章や第1章へ戻ってみたり、第7章や第8章に触れてみたり、「トゥエルブ・ヒーラーズ(12の癒し手)とその他のレメディ」のページをめくってみたり、とあちこちに飛んでみることで、逆に普遍性に気づかされる思いを受けました。
それは、海を例えにして言うと、表層の波の形は変わっていても、その下の海水は常に変わらず、そして延々とつながっていて分断されることはない、というような感覚、とでも言えばいいでしょうか。

その下に脈々と流れるもの、変わらないもの、がある、そんな感じです。

そして、それが次は第5章という大きな波で現れるんだな、という予感に似た思いを5月の読書会に託して、今回の第3章、第4章の波が引いていった、そんな感じを受けながら、今回の読書会をあとにしました。